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カストーディアルは道徳的か

「カストーディアル」という言葉を検索エンジンで検索すると、多くのサイトやブログが現れる。その上位に現れるサイトの多くは教育系のもの……道徳の授業に関するものが多い。
すいーぱーのサイトですら、ヤフーあたりでは上位ではないのだ。

カストーディアルと道徳教育……キャスト経験者にとっては結びつくはずもないキーワードが、一般的には当然のこと、なのだろうか。

教育関係のサイトの多くは元が同じようで、ほとんどのサイトでこんな感じのことが書いてある。
『カストーディアルの活動から、「掃除」の大切さ、奥深さを知る授業。掃除をさぼりがちな子どもの対策ともなる』または、『カストーディアルを通して、裏方の仕事の大切さ、仕事に喜びを見いだすことのすばらしさを伝える』ということを主な目的としているようだ。教員によって微妙に取り上げ方は違うが、道徳とキャリア教育の観点から、カストーディアルを扱っているようだ。

キャスト……カストーディアルキャストを経験した人なら、上記のようなサイトを見て、疑問に感じるか、または不本意に思うのではないか。とくに、実際に使われている設問を見ると、その疑問はさらに深くなる。

授業の導入でディズニーランドの話をし、その中でもっとも重要な仕事としてカストーディアルの話を持ち出すという流れになっている。それはいいとして、持ち出したあとのことである。

『Q.なぜ、掃除に一番力を入れるのか』
『A.ゴミがあったら、夢や感動がこわれる』

で、カストーディアルの勤務体制や仕事の説明をする。(この手の話って間違っている部分が多いが、今回は間違いを指摘する話ではないのでスルー)
『Q.ナイトカストーディアルの具体的な掃除の目標は何か』
『A.赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なくらいきれいにする』

で、有名な便器に名前をつけてお話するカストの話をして、おしまい、ということになる。

……これで掃除が好きになったり、トイレ掃除をちゃんとするようになった児童もいるらしい。相手は小学生であれば、話を単純化して説明する必要があることもわかる。最近は中学生でも単純化しないと理解できない人が多いから仕方ない。

しかし、これではカストーディアルが掃除をしている理由が、「夢や感動のため」という、社会にはあまり存在しない特殊な一言で片付けられてしまう。あとは、枝葉の部分だけがクローズアップされ、「大変だけど、すごいね」で終わってしまう。目的として最初に掲げたこととつながっていない、といってもいいだろう。

カストーディアルが掃除をするのは仕事だからだ。それは駅やデパートの掃除をする人だって同じだ。
掃除だけではなく、どんな仕事でも、その仕事に誇りをもっていたり、仕方なく従事していたり、楽しい毎日を送っていたり……それぞれいろんな理由や想いがあって、その仕事に就いているのである。
そのモチベーションの持ち方もそれぞれだ。
それを「夢や感動のため」という特別な理由で、カストーディアルを取り上げても、子どもに何を教えるというのだろう。じゃあ、街の中で同じように掃除している人はなんなのか。教室でいつもまじめに掃除をしている子どもはなんなのか。

元カストーディアル課長で現在コンサルタントをされている方が発信しているメールマガジンに、カストーディアル創生期のお話が連載されている。その中で、夜のゴールデンカルーセル(現キャッスルカルーセル)の90頭の馬や馬車などを1人で黙々と曇り一つなく毎日磨き続ける仕事に嫌気が差すナイトカストーディアルの話があった。
そんな彼に対して、チケットを渡してこのアトラクションに触れるゲストの姿を見てほしいと社員がいう。
昼間のゴールデンカルーセルの様子を見たナイトカストーディアルは、もうちょっと頑張るといった……そんな話だ。

これも、夢と感動を与えるため、と捉えますか?

なぜ、その仕事をしつづけているのか。カストーディアルだけではなく、ほかの一般の仕事も同じだ。
経済的観点からいえば、仕事とそれに対するの報酬……あとは、満足といったらいいだろうか。それが一致しているから働いているのだ。
それはディズニーの場合、お金だけではなく(けっして高い時給ではないし)、心の満足が高いということはある。
上記の例は、自分のやっていることがゲストの満足につながっているのだという、自分自身への満足につながった話だ。キャストとして働いていれば、そういう満足を感じる機会が多い。キャストはいわゆる従業員満足度が高い仕事でもあるのだ。
しかし、それは「夢や感動」を与えようとし、あるいは与えることへの満足ではない。もし、そう思って働いている人がいたとしても、それは、あの夢と魔法の王国だけに成り立つものだ。

なぜ、カストーディアルをしているのか。
それは、「人のために何かをした」という実感なのではないだろうか。

結局、カストーディアル=「道徳」という話に違和感を感じるのは、それが「夢や感動」という特殊な意味につながってしまうからだ。
もし、学生が教育実習で『ああいう学習指導案』を出してきたら、私が教員ならば却下するだろう。なぜなら、キャストがなんのために働いているか、という話があっても(夢と魔法の王国を作る)、なぜキャストとして働いているか、という話がないからである。それでは、勤労や奉仕の精神、キャリア教育にはならない。
はっきりいって、「夢や感動」をプレゼントするというのは、運営会社の論理なのだ。それは道徳ではなく、建前である。たとえディズニーランドの実態が本当に夢と感動に溢れていたとしても、キャストは奉仕をしているわけではなく、働いているのだ。それを無視して「夢や感動」につなげてしまうのは、道徳ではない。どちらかというと、経営論である。いや、それこそファンタジーといってもいい。

カストーディアルを道徳の授業で扱うなら、
私なら、こうするがね……って、学習指導案をあっぷしようとしたが、それはいつかきっと公開予定。

「夢と感動」という特殊なものではなく、「人のために何かをした」満足を大切にする勤労の話なら、何もカストーディアルでなくてもいい。しかし、子ども達にとって身近な楽しい場所に、人のために何かをしたいという「普通の想い」で働いている人がいる、そんな話にするなら、立派な道徳の素材だろう。
そのときになって、はじめて、カストーディアルは道徳の教材となるのである。

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